昭和52年10月23日 月例祭
先程前講に佐田先生が、おかげを頂いておりました。合楽理念以前の信心と言う事を申しておりました。やはり合楽理念とこう申しますけれども、その母体というものがやはりあるわけです。突然または忽然として出来たというのじゃない。やはり記念祭の時にも説明を申しましたように、こちらへ参りまして十年、十年間の間にお互いの信心の勧めというものが、一つの焦点が置かれる。
その焦点に向かって、お互い信心の稽古をさして頂いた。「限りなく美しゅうなりましょう」「広く大きく豊かに」でしたか、いわゆる「和賀心時代を創る」と言う信心。「合楽示現活動に参画する」と。最後に「合楽理念の確立」と。そういう一つの信心の歩みというものがあって、改めて気付かせられたことは、それがすべて合楽理念の内容であったり、手掛りであったり、土台であったと言う事でございます。またそれ以前のものと言やあ、椛目時代の信心があるわけであります。
「成り行きを大切に」と。「すべてのことに御の字を付けて、御事柄として受けて行こう」と言った様な信心が育って参りまして、今日の合楽理念の確立と言う事にはなったのです。だから、合楽理念のマスターと言う事は、かく私共が歩いてきた信心をもう一遍、歩き直してみる。味わい直してみる。それを本当なものにして行く。成程限りなく美しゅうなる。まあそれを家庭教会で合い言葉のように、「限りなく美しゅうなりましょうや」と言う事になったら、問題はその場で即決的に消えるものだと。
と言う様な言うなら体験をね、広く大きく愈々大地の心を心として、それこそ今言われる「黙って治める」と言う様な信心が、どのように素晴らしいことか。黙って治めることの鮮やかなおかげの進展というものは、私共が想像もつかない程しの素晴らしい神の働きを、そのままに表すことが出来る程しのことだと言う様な体験がね、銘々積み重ねられて行かなければならない。
末永先生のお話を頂いて、なお思わせて頂いたことは、「合楽理念の確立以前のもの、それは親先生に対する帰依であり、道念心を燃やすことであり」と言う様な意味のことを言っております。どんなに合楽理念をマスターしても、親先生の信心を信用が出来なかったら、これはもう本当はおかげにつながらないという意味なんでしょう。信心が習うとか、教えてもらうとか言うけれども、合楽の場合にはとにかく信心に、例えば佐田先生が言うならば、ここで毎日毎日の信心。
神様への奉仕、または信者さんへの奉仕、または教会での様々な御用奉仕と言った様なものにです。そのことだけに本気で打ち込んでおればです。一生懸命になっておればです。ここでは育てられると言う事を言うておりますですね。問題は自分のこれだと言う信心に打ち込んで信心をしておれば、これはあちらこちらに高徳な先生の話も聞き、また高徳な先生のお教会にも、三年間も修行に行ったと。
もうそれこそ求めて求めて止まない求道心が彼をして、あちらこちらへ求道の道を歩かしたわけなんですけれども、合楽に参りましてです。愈々私が助かるお道の教師としてのおかげを頂くことの為には、もう合楽に極まったと言う所まで、段々行っておるように思います。それは習うとか教えてもらうじゃなくて、そこに一生懸命何かに、先生の信心を見ておると、そんな感じがします。実に真面目な人ですから、そこに打ち込んで一生懸命の信心が出来ておる。そうしておればですね。
「神様がお育てを下さる」というふうに言っております。御大祭が済みまして、別にやれやれが出たとも思わんのですけれども、やっぱりどことはなしにやれやれが出てる。今朝から、家内がお届けに出て参りまして、一番下の娘でございますけれども、今度記念祭に佐田のお嬢ちゃんと、連れ舞を致しました。舞を舞いましたのがそうです。もう毎日毎日もうそれこそ猛練習で、あれだけのものが出来るようになり、もうそれこそ先生も舌を巻かれる程しに、素晴らしいと言うて誉めて下さったんです。
また私共が見ましても、実に素晴らしい舞でした。ところが一両日しましてから足が痛みだした。もう起きることも、ここまで出てお願いにくることも出来ないという状態。を今朝から家内がお届けに参りましたから、もう本当に神様のご都合であることだけは間違いないなあと、今私が五体が私がやっとかっとのような感じで、身体全身がそこが痛みここが痛みしておるような状態なんです。
ですから「これがもし記念祭前にこう言う事であったら、もう愈々どうにも出来なかった。折角の舞人が足が立ち上がりも出来んと言った様な事ではない。大祭を境にそういう言うならば病気をしたとか、事が起こっておると言う事は、愈々以て深い深い神様の御神慮あってのことだと言う事は分かるじゃないか」と言うて、まあ家内と話したことです。だから、その御神慮の深さ、意味が分からなくっても、その御神慮のどの辺かまではね、悟らしてもらい、分からしてもろうて、おかげを頂いてかなきゃならない。
昨日今日続けて、【 】教会の市川信徒会長が、参っとります。もう昨日来てただただ驚きますことは、もうとにかくお祭りの盛大さというだけではなくて、もう一糸乱れぬ御信者さん方の御用奉仕振り。もう最後が最後まで、もう整然としたものであったこと。もうただただ驚くばかりでございました。そして末永先生の御講話を頂戴しましたが、また驚きました。というのはあれだけ一時間あまりのお話の中に、金光様も出らなかったし、天地の親神様も出なかったちゅうんです。(笑い)
出るのは親先生、親先生ばっか。もうこれには私は、どこでもそうにお説教を頂いたばってんね、金光様も出らん、天地金乃神様も出らんというお話は、しかも一時間にわたってのお話の中に、お道の教師がお説教しておるというのに、金光様が出なかったという話はもう初めてでしたと。そしてもう本当に一同の者を感極まらせて、もう本当に涙ながらに頂いたというお話でした。本当にそうじゃったかの。そう言やあ大概「親先生親先生」ち言うごたるだったと、私も改めて思ったんですけれどもね。
いわゆる佐田先生が言っておる、親先生に対するところの、帰依であり親先生に対するところの道念心であり、そこに合楽理念を以てする他はない海外布教は、ということになるのであります。だからそれ以前のものというものが、やはり言うならば、十年間の信心を五つに分けてその焦点に向かってお互い信心の稽古をさせて頂いたが、それがあやふやであっては、合楽理念の土台があやふやであると言う事になるのです。
今日は桜井先生の所のお母さんの三年の式年祭が、もう盛大にここで一時から奉仕されました。私が祭主させて貰いました。お父さん御親戚ご兄弟もみんな集まってのお祭でございましたが、私が今身体がこんなに不自由でございますから、昨日も田主丸の共励会が終わりまして、もう十二時過ぎておりましたでしょう。秋永文男先生が必ず私の部屋にやって参りましてから、足を揉んでくれるんですけども、足を揉んでもらうのに、もう触っただけでも痛いんです。もちろん立ち振る舞いがなかなか鈍で出来ません。
さあもう座っとるが一番良いと、言う様な感じですけれども、だから本当にどういうわけに神様が、もう私がここで御用さして頂くようになって、椛目・合楽を通して、三十年近く、言うなら座りずくめの御用をさして頂いておる。勿論特別の御用があれば、親教会とか御本部参拝は致しますけれども、その他はまずは、私は御広前の奉仕に終始して来た三十年間であった。座っておれば足が弱ることが分かっておるので、神様にお願いもさして頂いた。
御信者さん方から色々ご注意を頂きまして、「ここの境内だけでも、グルグル五六回でも散歩して回られたら、いくらか足の運動になって良いことないですか」と言われましたけれども、いつの場合でも神様はそれに反対をなさいます。「いかん」とはおっしゃらんです。けれども何とはなしに、その反対の意思を表示して下さるのでございます。だから、神様が「いかん」とおっしゃるならば、もうこのまま足が腐って、立たれんようになってもかんまんという気持ちで、まあ三十年間御用させて頂いた。
どういうわけで神様は、三十年間も散歩もさせん、運動もさせんなさったじゃろうかと言うのは、どこまでも果ない人間の浅い考えなのであります。ささんなら散歩もしよう、時々にはこう運動もせろ。久富正義先生がゴルフの練習場始めた時なんかはもう、しょっちゅう「練習にお出でて下さい」と。「身体に必ずいいから」と。もう本当に連れて行かんばかりに言うてくれましたけれども、神様からお許し頂かなかったんです。そして今日、身体がこんなに不自由。まあだ六十四歳だというのに。
先日の二十日に菊栄会の方、総代さん方を中心にして、御本部へお礼参拝をさしてもらいました。そのお礼参拝の道中のことですけれども、もう足が前に出らないんです。宮崎さんがもう引っ抱えるようにして、歩いたようなことでございましたけれども、そういう例えば不自由な、まあだ六十四ぐらいで歩くのに人の手を借らなければならないようなことになってしまったと言う事は、これはもう神様の言うならばせいだ。自分のせいじゃない。あなたのせいなんだ。
けれどもね私は今日思うんですけども、私と神様の中に一つの交流が起こって、神様の御発動そして、私共のこうしたおかげを頂けれる、おかげの場というものが、愈々強い広いものにだんだんなってきた。先日から丁度大祭の日、伊万里の市長であります竹内先生が東京へ今度、全国六百五十あまりの市があるそうです。その中にとびきりずば抜けて、賞状を、総理大臣賞をもらいにお出でられたわけです。
伊万里市が一番健康な都市造りと言うですか、そういう教導が一番行き届いておるんだという、それもどこの市よりもずば抜けておった。六百五十の中の一番の言わばおかげを頂いて、賞状やら記念品やらを、私がお祭を奉仕をする一時間ぐらい前に着かれまして、こういうおかげを頂いたと言うて、私の部屋に見えました。私本当に思いますのにね、例えば合楽理念というのが、これはどういう人にでも反宗教の人にでも、非宗教者にしても、政治家でも商人でも百姓でも。
合楽理念を以てすれば素晴らしい実があがると言う事の一つの実証を、伊万里市で上げられたという感じが致します。そういう日本一の、優良な健康指導が出来たと言う事と同時に、なら日本一の経済の豊かな市であると言う様にも頂けないことはないと言う事が分かります。人間関係の上でも、先生が言われるいわゆる寛大の「寛」の字を、うかんむりを書いて、くさかんむりを見ると。
すべてのことを天地自然の働きと見るという生き方、頂き方が言うならば、伊万里市にそういうおかげをもたらしておることになるわけなんです。それで先生その時も、仰っておられましたけれども、それからまた昨日一昨日でしたか、見えられました。まあ大変な御比礼を受けて、おかげ頂いてお礼参拝をして見えてから、「今度の御大祭に先生のお祝詞を聞かしてもらい、親先生のご挨拶を聞かせて頂いとって、これは正しく世界宣言、合楽理念の世界宣言だと思いました」と。
と言われる程しに、最近の合楽の信心は、大きいおかげの頂けれる、言わば内容が充実して来たと言う事でございます。ですからそういう信心を私共は頂かして頂くために、まず、合楽理念以前のものというものが大切にされなければならない。自分のものに血に肉にならなければならない。そこに上げられるのは、親先生に対する言うならば憧念心。今のような状態だったら、皆が私の心から離れてしまうでしょう。
親先生があれだけ、「貧争病のない世界」と言うのに、自分はもうやっとかっと歩きござると言った様な事ではやはりね。だからここを一つおかげを頂かなければならん。私はここ三四日考えとることですけれども、今私がこんなに身体が悪い。上野先生なんかがここに研修に出てくる時に、クーとした顔をしとる。「あんたまちっと明るい顔をせんの」と言いたいごたる。ところがね、とても身体がどうかあるなら、そんなに明るい顔ばっかりしておれないことが分かりました。
手が不自由な、足が不自由だとこう言うならね、それだけでもやはり、暗い表情になるはずだと思いました。私は昨日だから上野先生に言いました。「今までね私は本当にあんたを見てから、まちっとあんた位な根性の人間がまちっときりきりすりゃよかとこへ。まちっとシャンシャンせんの」と言いたいごたったけれども、何時もなんかこう沈んだような顔をしておる。けれどもその気持ちがよーく分かるようになった。私自身がこんな状態で、成程にこにこしようと思うても、にこにこ出来んわい。
そういう一つの実感というものが、私の心の中に通うてくるのですから、この実感を御取次させて頂くのですから、合楽では言うなら身体の不自由であるとか、病気とかというのが、これは一段また広く大きく助かる場が出来る。これは私がおかげを頂けば。そういう神様は修行さして下さっておるなというふうにしきりに思うんです。やっぱ通るところを通らなきゃいけません。分からんですね。
通るところを言わば通らせて頂いておるわけでございますが、なら私共の一番末の娘が、そして足が悪い。私がお祭を境にこんな身体の状態であると。だからただ信心が、御大祭が済んだ、やれやれという気持ちで、身体ががたがたにこうなったと言うだけではなくて、そこには深い神様のご都合である。今日家内に話しましたように、ただ事ではないぞと。御大祭にはあのように元気に御用に使うて頂いた娘が、御大祭を境に、言やあ立てもせんぐらいに足が痛むと言う事は、これはただ事ではないぞと。
そこにもちろん詫びも改まりも必要でしょうけれども、それをもっと深くです。もっとより大きなおかげを下さろうとする働きを感じずにはおられない。私が五体の上におかげを頂いた暁には言うならば、上野先生のような人が参ってきた時に、本当にやはり実感を持って御取次が出来るようになるだろう。そこからまた新たな助かりの面が合楽に開けてくるんだというふうに思うのです。そこでです。ならその合楽理念の以前のものと言っておる、そこには親先生への憧念心、親先生への帰依というものがです。
どう言う様な所から生まれてくるかというと、今日私が桜井先生の御霊祭を仕えさして頂いた時に、お話致したことですけれども、三十年来私はここで座ったなりの御用をさせて頂きますから、足が愈々運動不足になって弱って、しかも今日の状態であるけれども、神様も不思議なお方じゃ。なら毎日時間三十分ずつでも散歩でもさせ、運動でもさせて下さったら、こう言う事にもならなかったのにとは、さらさら思わない。神様が言うて下さってこうなのだから、と言う所に私と神様の交流がある。
神様へ対する所の憧念の心がいやが上にも、例えこれが這えなくなっても、立てなくなってもよし足が腐ったと致しましても、神様任せでこうなるのですから、さらさら厭わないという心の状態から生まれてくるのが、今日の合楽の御比礼であると言う事を思うとです。私共の小さい知恵やら力では分かりかねる事ばっかりなのです。「どう言う訳ですか」と言う事はない。親先生任せになる。そりゃ親先生任せになって損をした。
親先生任せになって、却って反対の事になったというても、親先生任せになってこれなのだから、ここに不平も不足もありません。よし足が腐ってもというそこが、私は憧念心がなからなければ出来る事じゃないと思うのです。ですから親先生の言われる通りにしてこうなったああなったじゃなくて、ただおかげ頂いた頂いただけではなくて、右になる左になるは、親先生任せにならして貰うてこうなったんだという、私は心の状態が合楽理念マスターさしてもろうて、自分のものにして行く。
その根底になるものが、その辺の所にあるように思うんです。今日佐田先生のお話を聞いて、それを思うた。神様と私との間にもう理屈付きではない。理屈を言わば超えたもの。道理を超えたもの。その超えたものの所にです。神様に思い思われるという、信じ信じられるという、もうあれは足が腐ったも、私の言う通りにしたと言う事になるのじゃないでしょうか。そこに言うならば、合楽の今日の御比礼がある。それが私が自分の言うように、運動も大事足も大事にせにゃん、病院にも行ってこう。
シャンとしてそしてここで御用さしてもらう。実に理想的のようです。けれどもそういう信心をしておったとしたら、恐らくは今日の合楽の理念も生まれなかったでしょうし、合楽の御比礼も私はなかったと思う。私は信心の一番その味わいのある所は、この辺じゃないかと。所謂合楽理念以前のもの、それは親先生に対する所の憧念心。それこそ随分お説教も聞いたけれども、金光様も出らなければ、天地の親神様も出らなかった金光教のお説教というのは初めて聞いたと。しかも一同の者を感動させたと。
おかげを受けたと。ただ出るものは、親先生親先生ばかりであったと言ったような所に、ならビリグイの今日の御比礼が輝き出したというわけも合点が行くように思うんです。どうぞ一つ、本当に私もこれでは出来ません。これをもう一つなら健康の状態なら健康の状態におかげを頂きまして、今まで開けなかった分野が開けてくる。おかげの分野が広うなってくるようなおかげを受けて行かなければならん。まただろうと思います。そのための精進であります。どうぞ合楽理念以前のもの、それを愈々もう一遍、一つ頂き直さして頂かなきゃならんと言う事でございます。
どうぞ。